
こんにちわ!こんばんわ!よしこです!
今日は患者を褒めるの弊害についてお話します
【褒めるのって、実はちょっと怖い話】
精神科の訪問看護師やってると、よく言われるんです。「患者さんをたくさん褒めましょう」って。
研修でも、教科書でも、先輩にも。
でもわたし、これがずっと引っかかってて。
むしろわたし、基本的に患者さんを褒めないんです。
「え、冷たくない?」って思いましたよね。ちょっと待って、聞いてください。
褒めると、いい話しかしてくれなくなる
訪問のたびに「頑張ってますね〜!」「すごいですね〜!」って言い続けると、何が起きると思います?
患者さん、だんだん褒められそうな話だけしてくるようになるんです。
今週できたこと。うまくいったこと。前向きなこと。
そういう話は増えていく。
でも、失敗した話。落ち込んだ話。誰にも言えない本音。
それがね、だんだん出てこなくなる。
看護師側は「順調そう!」って安心する。患者さんは「期待される自分」を演じ続ける。
…これ、本当に理解し合えてますか?ってわたしは思うんです。
訪問の日だけ部屋が片付いてる問題
長くこの仕事やってると、あるあるがあって。
訪問の日だけ部屋がきれい。 元気そうに振る舞ってる。
「大丈夫です」って言うけど、目が大丈夫じゃない。
悪気はないんですよ、患者さんに。
人間って、評価してくれる人の前では良く見せたくなるものだから。
でもわたしたちが知りたいのって、整えられた姿じゃないんです。
一人になったときに何を感じてるか。どんな苦しさを抱えてるか。そっちなんです。
そもそもなんで家まで行くの?って話
月に何回もピンポンして、靴を脱いで、生活の中にお邪魔するのって、なんのためだと思いますか?
患者さんをいい気分にさせるため?
それは違うと思ってて。
生活を知るため。
現実を理解するため。
本人も言葉にできない何かに触れるため。
褒めることが目的になった瞬間、「理解する」より「気分よくさせる」に意識が向いちゃう。
それ、訪問看護じゃなくてもできるよなって。
褒められ慣れると、外側ばかり気にするようになる
もうひとつ気になってることがあって。
褒められることが習慣になると、患者さんの意識が自分の「内側」じゃなくて「外側」に向いていくんです。
「自分はどう感じてるか」じゃなくて、「看護師はどう思うだろう」に。
精神科の支援って、自分の感情や体験とつながることがすごく大事で。
だからこそわたしは、褒めるよりただ耳を傾けることを選んでます。
褒めるな、とは言ってないけど
誤解しないでほしいんですが、褒めることが全部ダメとは思ってないです。
必要な場面では承認もするし、変化を言葉にすることもある。
ただ、それを関係づくりの中心に置くのは違うかなって。
わたしが目指してるのは、良い話も、失敗した話も、情けない話も、全部話せる関係。
褒めてもらえるから話す、じゃなくて、どんな自分でもここなら出せる、そういう場所になりたいんです。
それがわたしの考える、精神科訪問看護の信頼関係です。
今日も誰かの玄関でピンポン押しながら、そんなことを考えてます。

コメント