
こんにちわ!こんばんわ!よしこです!
今日は心理カウンセラーの資格について考えます。
そもそもなぜ資格を取ろうと思ったのか
先日、子ども向けのお教室をされている方から相談を受けました。
「毎年何人か、発達障害?自閉症?という子がいるんです。何か役に立ちたいので、心理カウンセラーの資格を取ろうかと思っているんですが、どう思いますか?」
うーん、いい質問だなと思いながら聞いていました。
こういう相談、実は結構多いんです。
「何かしたい」という気持ちがあって、資格という答えに向かっていくパターン。
でも私がまず確認したいことが2つあります。
順番に話しますね。
確認① それは親のため? それとも子どものため?
まず最初に考えてほしいのが、「誰のためにやろうとしているのか」ということです。
親御さんのためなら
親御さんに何かしてあげたいという気持ちがあるなら、私の答えはシンプルです。
親が望んだ時だけ、話を聞けばいい。
それだけです。
なぜかというと、望んでいない人には話が入らないからです。
自分の子どもについて「もしかして発達に特性があるんじゃないですか」と言われて、「なるほど、そうかもしれませんね」とすぐ受け止められる親御さんは、正直そう多くありません。
まず出てくるのは「そんなはずない」という気持ちです。
こちらがどんなに正しいことを言っていても、相手が受け取る準備ができていなければ届かない。
支援って、相手が求めた時に初めて機能するものなんです。
だから親御さんのためにできる一番のことは、「いつでも話を聞けるよ」という存在でいること。
資格じゃなくてもできます。
子どものためなら
では「子ども本人のために何かしたい」という場合はどうでしょうか。ここが2つ目です。
私は基本的に、資格は不要だと思っています。
理由はシンプルで、本人が困っていないことが多いからです。
もちろん例外はあります。
でも多くの場合、発達障害の特性を持つ子どもは、本人なりのペースで機嫌よく生きています。
むしろ困っているとしたら、周りが「なんとかしなきゃ」「変えなきゃ」と関わってくることを負担に感じているケースも少なくないんです。
本人は本人なりに自然に生きている。
まずそこを見ることが大切だと思っています。
「かわいそう」「助けなきゃ」というこちらの目線が、実は一番余計なお世話だったりすることがあります。
これ、精神科の訪問看護でも同じことをよく感じます。
確認② 手段が目的になっていないか
2つ目の確認はこれです。
「資格を取ること」が目的になっていないかということです。
資格はあくまで手段
心理カウンセラーの資格を取ること自体に価値があるわけではありません。
資格はあくまで、何かを実現するための手段です。
ちょっと考えてみてほしいんですが、本当に叶えたいことって何ですか?
たとえば…
「親御さんが困った時に話を聞ける場所になりたい」なら、傾聴の練習や信頼関係づくりの方が先かもしれない。
「教室での対応力を高めたい」なら、発達特性についての本を読んだり、専門家に話を聞きに行く方が早いかもしれない。
「保護者との信頼関係を深めたい」なら、日々のコミュニケーションの積み重ねの方がよっぽど大事かもしれない。
目的が先にあって、その手段として資格が必要なら取ればいい。
でも「何となく資格を取れば役立てそう」という順番だと危険です。
手段が目的になると何が起きるか
お金を使う。時間を使う。労力を使う。
にもかかわらず、最終的に何も変わらない。
資格だけ増えて、本当にやりたかったことは何も進んでいない。
そんな状態になりやすいんです。
資格ってちょっと魔法みたいに見えるんですよね。
「取れば何かが変わる」「取れば自信がつく」「取れば役に立てる」って。
でも資格は道具であって、道具を持つことと道具を使いこなすことは全然別の話です。
確認することは2つだけ
この相談への私の答えはシンプルです。
① それは親のためか、子どものためか
親のためなら、親が望んだ時に話を聞く。それだけでいい。
子どものためなら、まず本人が本当に困っているのかを見る。
困っていないなら、そのままでいい。
② 手段が目的になっていないか
資格は手段。
何を達成したいのかが先。
目的が明確なら、必要な手段は自然と見えてきます。
「資格を取るべきか」じゃなくて、「何を実現したいのか」を先に考える。
その順番を間違えないことが、一番大切だと思っています。
でもこういう相談をしてくれること自体、その子どもたちへの愛情だと思うんですよね。
その気持ちは本物だから、あとは方向さえ定まれば大丈夫です。
グレーのソリオの中で、今日もそんなことをぐるぐる考えていました。

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