めちゃくちゃ怒ってるやん‥精神科訪問看護師が考える安全?な対処法

ピンポンの向こう側
よしこ
よしこ

こんにちわ!こんばんわ!よしこです!

今日は怒っている患者さんへの対応について考えます!

三角の目をした患者さんが、かまぼこの目になるまで

今日はちょっと、重めの話をしようと思います。

精神科の訪問看護をしていると、たまにものすごく怒っている患者さんに出会います。

目が三角になっていて、こちらを見る目つきがもう「お前何しに来たんだ」という空気を全身から出している。

正直、困ります。

でもこの話、最終的には「ありがとね」って笑ってもらえるようになった話なので、最後まで聞いてください。

患者さんは看護師を選べる。看護師は患者さんを選べない

まず大前提として、ちょっと不公平な話をします。

患者さんは看護師を選ぶことがあります。

「あの人とは合わない」「次は別の人に来てほしい」というのは、患者さんの権利として存在します。

でも、看護師は患者さんを選べません。

怒っている人より、穏やかな人の方が関わりやすいのは当然です。

誰だってそうです。

できれば「今日もいい雰囲気だったな」で終わる訪問の方がいいに決まってます。

でも精神科訪問看護は、関わりやすい人だけを選ぶ仕事じゃないんです。

継続すること。関わり続けること。まずそこから逃げない。

身も蓋もないですが、それが答えだったりします。

怒りを見たら、ひっくり返す

ここからが今日の本題です。

「この人は怒りっぽい」「病気だから仕方ない」「今日は機嫌が悪いんだろう」

こういう解釈、よく聞きませんか?

私もこの仕事を始めた頃は、こういう解釈で自分を納得させていました。

でも、これで終わらせちゃダメだと思っています。

物事はひっくり返す。

私はこれを、簿記みたいなものだと思っています。

表面に「怒り」という現象があるなら、必ず反対側に理由がある。

借方があれば貸方がある、みたいな感覚です。

人の行動には必ず理由がある

病気だから怒るんじゃない。

性格だから怒るんじゃない。

機嫌が悪いから怒るんじゃない。

人の行動には、必ず理由があります。

大事なのは、自分に都合のいい理由を探さないことです。

「病気だから」「性格だから」っていうのは、ある意味こちら側にとって一番楽な理由なんですよね。

自分は何も悪くない、相手の問題、で終われるから。

でも本当にそうでしょうか。

もしかしたら、看護師側に理由があるのかもしれない

ここがちょっと耳の痛い話になります。

もしかして、自分の言葉が傷つけたのかもしれない。

自分の態度が見下しているように見えたのかもしれない。

過去に関わった誰かと、私が重なって見えたのかもしれない。

信頼したいのに信頼できなくて、それが苦しくて怒りという形になっているのかもしれない。

看護師側にとって不都合な理由かもしれない。

でも、それでも探るんです。

これ、正直しんどい作業です。

自分が原因の可能性を常に視野に入れながら関わるって、結構エネルギーを使います。

でもここを避けると、絶対に表面だけの関係で終わります。

問うべきはこれだけ

結局、私が訪問先で自分に問いかけているのはこれだけです。

「なぜこの人は、この場面で、私に怒っているのだろう」

なぜ今なのか。なぜ私なのか。なぜこの言葉だったのか。

怒りそのものを見るんじゃなくて、怒りを必要としている理由を見る。

怒りって、何もないところから突然出てくるものじゃないんです。

必ず「今」「この人に」「この言葉で」というピンポイントな条件が揃って出てきている。

その条件を見ていくと、見えてくるものがあります。

わたしは誰にでも笑う

ここから少し、私自身のスタイルの話をします。

私、誰にでも笑うんです。

これ、不謹慎だと言われることもあります。

「そんな場面で笑うのか」って。

怒っている人を前にして、こちらが笑顔だったら、火に油を注ぐように見えることもあると思います。

それでも私は笑います。

なぜ笑うのか

理由は、笑顔を向けられた時に、患者さん自身が何を感じるのかを知りたいからです。

腹が立つのか。

気味が悪いのか。

安心するのか。

試されていると感じるのか。

その反応そのものが、私にとってはものすごく大事な情報になります。

笑顔って、ある意味すごくシンプルな「投げかけ」なんですよね。

それに対する反応を見ることで、その人が今どういう状態にあるのかが見えてくる。

実際に逆鱗に触れたこともある

正直に言うと、私の笑顔に激怒した人もいます。

「ふざけるな」「笑うな」

そう言われたこともあります。

でも私は笑顔をやめませんでした。

正直、その瞬間は怖かったです。

でもやめなかった。

そしてどうなったか

その人は後に、「ありがとね」と笑って言うようになりました。

怒りが消えたわけじゃないと思います。

怒りの奥にあるものに、少しずつ触れられたからだと思っています。

最初は「ふざけるな」だったのが、最終的に「ありがとね」になる。

この変化を見られた時、この仕事をやっていて良かったなと心から思いました。

精神科訪問看護師ひるんではいけない

ここからはもう少し一般的な話をします。

怒鳴られてもひるまない。

拒絶されてもひるまない。

表情に振り回されない。

ひるむと、人は表面だけを見るようになります。

これ、本当だと思います。

怖いと感じた瞬間、自分の安全を守るモードに入って、相手の本質を見ようとする余裕がなくなってしまうからです。

上っ面の会話で終わらせない

天気の話。体調の話。当たり障りのない雑談。

もちろん、こういう会話が必要な時もあります。

アイスブレイクとして大事ですし、それ自体が悪いわけじゃありません。

しかし、それだけでは届きません。

雑談で終わる訪問が続いてしまうと、お互いに「今日も無難に終わった」という安心感だけが残ります。

でもそれって、本当にその人のためになっているのか、ちょっと考えた方がいいかもしれません。

切り込むべき場所

怒りの奥。

言葉の奥。

行動の奥。

潜在意識の領域。

ここに切り込んでいくのが、精神科訪問看護の本質だと思っています。

精神科訪問看護とは何か

薬を確認する仕事じゃない。

世間話をする仕事じゃない。

怒りを鎮める仕事でもない。

じゃあ何なのか。

「なぜこの人は今こう生きているのか」を、探り続ける仕事だと思っています。

三角の目を見て終わるんじゃない。

その奥にある、本当は傷ついている目。

本当は助けを求めている目。

本当は信じたい目を、探し続ける。

まとめ

今日の話を整理すると、こんな感じです。

患者さんは看護師を選べても、看護師は患者さんを選べない。だから継続する。

怒りを見たら、まずひっくり返す。人の行動には必ず理由がある。自分に都合のいい解釈をしない。

「なぜこの人はこの場面で私に怒っているのか」を考える。

上っ面の会話で終わらせない。潜在意識に切り込む。

ひるまない。そして関わり続ける。

三角の目を、かまぼこの目に変える方法は一つです。

怒りを消そうとするのではなく、怒りの理由を探し続けること。

正直、これができたら一人前みたいな感覚もあります。

私もまだ全然できていない日もあります。

でもこの視点を持っているだけで、訪問先での見え方が変わってくる気がしています。

今日もピンポンの向こう側は、「三角の目」なのか「かまぼこの目」なのか、どっちなんだいって思いながら訪問しています。

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